[ 高齢化を考える]  マンションNPOホーム 

4 高齢者をどう理解するか


  「高齢化を考える」というテーマで、.私達が直面している高齢社会の背景を見てきました。

  集合住宅の中で独居高齢者の孤独死を経験された所は少なくありません。
 「個人の尊厳を重んじながら、独居高齢者の見守りをしていく」という難しい対策に真摯に取り組んでいる組合もあります。
  都市は「コミュニティ社会で生活する」住民で成り立っています。高齢者に限らず、単身赴任者や孤立した都市生活者に対しても地域住民が助け合っていかなくてはならない時代です。

  2005年のフォーラムでは、実例として、地域ぐるみで取り組んでいる「名古屋市緑区森の里荘自治会の取り組み」などの例を紹介して、それがどんなに大変な事かということを(自分達も同じように生活困窮者の生活保護認定の訪問依頼を行った際に行政に拒否された実例を交えて)お話しました。

管理組合ができること

  専門的な介護医療を担う高齢者介護施設における介護の基本は、長い人生経験や固有の価値観を持ち、 老いを生きる人を統合的に理解するとともに、老化や健康障害を持つ高齢者と家族の生活の質を尊重した看護が出来ることを目的とし、老年期にある人のライフコース、社会的役割の変化や喪失、高齢者をとりまく家族の問題、心身の老化による生活機能の低下状況、高齢者の価値観の有り様等から高齢者の多様性を理解し、生活の質および個別性と人権を尊重した看護援助を目標とします。

 「各人の多様性を理解し、生活の質および個別性と人権を尊重する」のは地域に住む者共通の心構えであり、管理組合運営の基本ですから、介護施設も管理組合も考え方は同じですが、実践していく上で私達には限界があり、行政や介護スタッフとの連携が必要になってきます。

  例えば生活保護の認定は民生委員が福祉事務所に連絡し、事務所のケースワーカーが当該家庭を訪問して調査、認定を行いますが、(*1後記注) 当事者、民生委員、ケースワーカーで福祉サービスの実施、評価が自己完結していきます。守秘義務から当然のことなのですが、一人暮らしの高齢者を見守るためのネットワークづくりは、近隣の人たちを巻き込んで地域社会の内側から公共的な関係を育てていかざるを得ないのです。

  一方で、最近はこうした市民運動を逆に安上がりな福祉財政抑制策として行政主導で組織化し、国家責任を地域住民に押し付ける責任転嫁政策により、市民運動を行政の「含み資産化、管理化、従属化」した上で利用する例が見られるようになってきました。福祉財政を抑制し、代替手段として市民運動を利用する厚生労働省の政策モデルが北九州市です。(*1後記注) 


(*1 後記注)

  最近は生活保護の要保護者当人が窓口に申請に行っても拒否されます。
2006年4月21日、北九州市門司区の市営住宅で女性2人(78歳の母親と49歳の長女)が餓死してミイラ化した状態で発見され、47歳の次女が2ヶ月間、何も食べていない状態で餓死寸前で病院に運ばれました。続けて、同じ門司区で、生活保護を求めた56歳の男性(4級身体障害者手帳の交付を受けていた)に対し、保護の申請書すら渡さず拒否し、この男性も2006年5月に餓死して発見されました。悲惨な状況はその後も続き、改善されるどころか、ますます悪くなっていきます。何故でしょうか?

生活保護の引き締め政策
  1981年に旧厚生省は123号通知(*2)で、様々な理由をつけて申請書を渡さず、窓口で追い返す「水際作戦」の実施を全国の福祉事務所に通知します。表向きは暴力団による不正受給の防止です。実はこの123号通知の2年前(1979年)から厚生省は、筑豊炭鉱閉鎖や鉄鋼不況の影響で当時、「保護率」(=市人口に占める生活保護を受ける人の割合)が全国トップであった北九州市に対し、厚生省から官僚を天下りで主要ポストへ出向させ、水際作戦のモデル事業を成功させて、それを全国に広めようとします。その結果、2003年、東京を除く全国12の政令指定都市の中で、不況と地域格差社会を反映して他の11都市すべてで、大幅な生活保護費の伸び率を示したのに対し、唯一、北九州市だけが、マイナス0.12%、つまり生活保護世帯数の削減に成功します。
これが、「福祉が人を殺す」状況が生まれた裏の真実です。

(*2)
  生活保護の適正実施の推進について(昭和56年11月17日 社保第123号 厚生省社会局保護課長・監査指導課長通知)」 


   福祉行政は可能な限り家族の自助努力を中心にして問題の解決を求めますが、核家族化が進み、家族の中での解決はますます困難な状況になっています。近隣地域住民と福祉の当事者はお互いの立場を尊重した上での立場の違いを冷静に認識することも必要です。

  高齢者の例ではありませんが、介護を必要とする障害をもつ居住者のことでケースワーカーと相談しながら、何とか住み続けられるように近隣居住者に理解を求め、住民が連携して動きました。結局、ケースワーカーが施設を紹介し、そこに移住したのですが、無力感を持った私達にこのケースワーカーは住民が連携して支援してきたことへの感謝を伝えてきました。

  ごみの出し方のルールが守られなくなる、判断力が衰え、悪徳商法や犯罪の被害者になりやすいなど日常生活で高齢者の特質を理解しなければならない局面が増えてきます。
高齢者をどう理解するかによって、その後の取り組み方も違ったものになります。現在の高齢者が生きてきた時代背景と個人のQOL(クオリティ オブ ライフ=生活の質)の面から、高齢者をどう理解するかを考えてみましょう。

(1)現在の高齢者が生きてきた時代背景

 1950年代以降、日本は急激な都市化が進行して行きました。1950年代、第一次産業が48.5%、第三次産業が29.6%であったものが、1970年代にはそれぞれ19.3%、46.6%と逆転し、同時に地方産業は衰退し、多くの地方都市の人口を激減させ、都市の過密化、地方の過疎化が進行しました。働き手の移動に伴って家族高齢者が都市に移動する例も増えてきました。

 1960年代に入ると、第二次池田内閣による「所得倍増計画」(1960年)、「全国総合開発計画」(1962年)により地方中核都市を拠点とし、産業基盤の公共投資を集中させ、素材供給型重化学工業の工場を誘致することにより、関連する産業を発展させ、周辺地域の都市化をはかることを意図したもので、日本は農業国から重化学工業国へと変貌していき、過疎・過密化を引き起こしていきます。拠点開発方式は公共投資を中心とする財政支出構造及び成長優遇の構造化による企業城下町を形成していきますが、社会資本の整備は立ち遅れ、国民は生活の豊かさを享受できず、「新しい貧困」と呼ばれる社会問題が生み出されていきます。

 1969年、国際化(国際競争力強化)に対応するための産業再編成を目指して「新全国総合開発計画」(新全総)が策定され、巨大開発方式による環境の悪化で公害問題が続発し、過疎・過密化の顕在化、大都市圏における水不足・電力危機、国内資源の限界等に対する住民運動、社会運動が激化し、1973年のオイルショックを機に、高度経済成長は終焉を迎えます。

 1977年、「第三次全国総合開発計画」(三全総)が策定され、「歴史的、伝統的文化に根ざし、自然環境、生活環境、生産環境の調和の取れた人間居住の総合的環境の形成を図り、大都市への人口と産業の集中を抑制し、地方を振興し、過密過疎に対処しながら新しい生活圏を確立する」という「定住圏構想」が提起されますが、その構想が実現されることなく失敗に終ったのは、人口定住を標榜しつつも、その大前提である雇用・産業政策が不明確であり、開発主体としての地方自治体への税源と権限の委譲が不十分であり、きわめて中央集権的な構想でしかなかったからです。

  官僚的中央集権とは何でも役人が決めることで、旧ソ連や東欧諸国などの旧社会主義国でも官僚システムによる計画経済は国民の生活水準が劣悪なときはそれなりにうまくいっていましたが、徐々に行き詰まりを見せ始め、1991年、ついに旧ソ連は崩壊します。(このあたりの分析は現代アメリカの政治学者ズビグネフ ブレジンスキー著「大いなる失敗―20世紀における共産主義の誕生と終焉」 に詳しい。(*1 ソ連が崩壊する前に予言した書)

 1987年の金融緩和により一転してバブル景気が始まり、1987年6月に「第四次全国総合開発計画」(四全総)が策定され、東京を中心とする一極集中型経済構造の是正、多極分散型国土開発を目指します。しかし実際には東京湾臨海副都心開発計画に代表されるように、大都市部を中心とする高速道路、空港、港湾等の産業基盤開発が優先され、地域社会資本整備、地域産業振興・育成に対する対策がなされたわけではなく、テクノポリス構想に見られる産業分散政策は失敗して行きます。1987年、「総合保養地整備法」(リゾート法)が成立し、多くの過疎地がリゾート開発にのめりこんで行きますが、後にやがてそのどれもが負の遺産となって苦しむ状況を生み出しました。

 1980年代初頭までは2割を越えていた地方財政歳入に占める補助金比率は、1989年には14%まで低下し、バブル崩壊を背景として「財政再建」「地方行革」が強調され、公共事業予算の歳出削減と補助金カットが実施されていき、1985年には機関委任事務の団体委任事務化が進められ、結果として財源に裏付けられる国家責任の後退のみが明らかにされていきます。

 1995年、「地方分権推進法」が成立、この後、第一次勧告から第四次勧告にいたるまでの間に「地方分権の抜本的改革」は後退を続けながら1997年「介護保険法」、1999年「地方分権一括法」が成立し、2000年4月からの介護保険制度が導入されたことに伴い、全国で「広域連合」化が進み、社会福祉事業への営利企業の参入が奨励されていきます。

 1970年代以降、中央集権型福祉国家の財政危機に対して、新自由主義に基く「小さな政府」への改革が公共事業・社会サービスの分野に民間資本の参入という形で進行します。「政府の欠陥」を是正するために登場した新自由主義で「市場の欠陥」が新たに生み出されていった経緯は、既にレーガノミックスやサッチャーリズムにより欧米世界で経験済みで、中央集権から地方への実質的な権限委譲による分権化、民営化、規制緩和,の課題に直面していますが、既存の権益を壊して誠実さと責任感に裏付けられた新しい社会の仕組みを構築するのは容易ではありません。

  このような流れの中で、かっては夢をもつことが可能な時代もあったのです。経済成長期にあった1980年代前半までの日本は「努力すれば何とかなる」社会であり、その中で学歴を通じた上昇という主ルートであったホワイトカラーの上層(専門職と管理職)の再生産が潜在化しつつ、ブルーカラー雇用から自営への「腕一本」による上昇という副ルートをもつ「戦後的階層-移動パターン」をもち、日本全体が「可能性としての中流」状態であり、各階層ごとに、それぞれの上昇ルートが存在し、それを見通しながら努力することに価値を見出すことが可能な時代であったというのが、佐藤俊樹氏の見方です。(*5)
  このような「開かれた社会」が成立し得たのはいわゆる「団塊の世代」までで、1980年代後半以降、日本社会は、戦前以上に閉じられた階級化を見せ始め、企業においても学校においても「努力をする気になれない、閉塞感のただよう社会」を生み出していると分析しています。

  高齢期になっても、地域で自分にあった労働を継続しながら、住民同士の近所づきあいの中で生きがいを持って生活し続け、社会的役割を喪失することなく豊かな生活を継続できる居場所を確保したいという素朴な願いに対して、国家は一度も有効な対応を示すことが出来ませんでした。

(2)QOL(生活の質)から高齢者を見る

社会学的に見た高齢者の特徴のひとつが「喪失」です。
高齢を理由とする非自発的失業や或は定年で仕事と収入を失い、職業生活を通じて持っていた社会的な地位や、社会との接触によって得られていた交友関係などの大部分を失います。体力や記憶力、身体能力は低下してきます。自分または配偶者の死はいずれ訪れます。人生におけるかけがえのない大切なものを次々に喪失していき、心に傷や悩みを抱えています。変化への適応能力も低下し、精神的な不安が原因で体調不良を起こしやすく、変化への不適応への怖れから、高齢者になってからの生活環境の変化は大きな心理的負担となり、時には心身の健康にも影響を及ぼしてきます。
  「ついのすみか」に求められるもの、それは社会との接触によって得られる心の安定感や安心感のことで、物理的な住居のことだけではないのです。

参考文献

(*1)「Grand Failure: The Birth and Death of Communism in the Twentieth Century,」 
            (Zbigniew Brzezinski) (1989) New York: Charles Scribner's Sons
(*2)「都市開発を考えるーアメリカと日本ー」大野輝之 レイコ・ハベ・エバンス(1992)岩波新書
(*3)「都市開発ー利権の構図を超えてー」五十嵐敬喜 小川明雄(1993)岩波新書
(*4)「高齢者福祉の創造と地域福祉開発」松村直道(1998)勁草(けいそう)書房
(*5)「不平等社会日本-さよなら総中流(崩壊する平等神話)」佐藤俊樹(2000) 中央公論社」
(*6)「現代地域福祉の課題と展望」岡崎祐司 河合克義 藤松素子 編(真田 是一監修「21世紀の社会福祉講座5」)(2002)かもがわ出版

( 2007.1.5 掲載 )

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